次の御門、淳和天皇と申しき。 桓武天皇の第三の御子。 御母、参議百川の女、旅子なり。 弘仁元年庚寅九月に東宮に立ち給ふ。 御年二十五。 平城天皇の御子、高岳親王の御代りなり。 同十四年癸卯四月二十八日に位に即き給ふ。 御年三十八。 世を知り給ふ事十年なり。 天長二年十一月四日丙申、御門、嵯峨の法皇の四十の御賀し給ひき。 今年、浦嶋の子は帰られりしなり。 持たりし玉の箱を開けたりしかば、箱の内より紫の雲、一筋西ざまへまかりて後、いとけなかりける容貌、たちまちに翁となりて、はかばかしくあゆみをだにもせぬ程になりにき。 雄略天皇の御世に失せて、今年三百四十七年といひしに帰りたりしなり。 同四年に智証大師生年十四にて、讃岐の国より上り給ひて、比叡の山へ登り給ひき。 母は弘法大師の御姪なり。 同九年十一月十二日に、弘法大師高雄より高野へ帰り居給ふべき由、申し給ひしかば、太上天皇、弘福寺賜はせき。 「高野より都に通ひ給はん道の宿所にし給へ」とぞ宣はせし。 弘福寺は天武天皇の御願なり。 同十年二月二十八日に、御門、位を御甥の東宮に譲り申し給ひて、西院に移りおはしましき。