水鏡 - 序

 慎むべき年にて、過ぎにし二月の初午の日、龍蓋寺へ詣で侍りて、やがてそれより、初瀬に、たそがれのほどに参り着きたりしに、年の積もりには、いたく苦しう覚えて、師のもとにしばし休み侍りし程に、うちまどろまれにけり。初夜の鐘の声におどろかれて、御前に参りて通夜し侍りしに、世の中うちしづまる程に、修行者の三十四五などにやなるらんと見えしが、経をいと尊く読むあり。かたはら近く居たれば、「いかなる人のいづこより参り給へるぞ。御経などの承らまほしからむには、尋ね奉らん」と云ふに、この修行者言ふやう、「いづこと定めたるところも侍らず。少しものゝ心つきて後、この十余年、世のなりまかるさまの心とゞむべくも見え侍らねば、人まねに、もし後世や助るとて、斯様に惑ひ歩き侍るなり」と言へば、「誠に賢く思し取りたる事にこそ侍れ、誰も流石に此の理は思へども、眞しくは思ひ立たぬこそ愚に侍るめれ。此尼、今まで世に侍るは希有の事なり、今日明日とも知らず、今年七十三になんなり侍る。三十三を過ぎ難く、相人なども申し合ひたりしかば、岡寺は厄を転じ給ふと承りて、詣で初めしより、慎みの年毎に、二月の初午の日参りつる験にこそ、今まで世に侍れば、今年慎むべき年にて、参りつる身ながらもをかしく、今は何にの命かは惜しかるべきと思ひながら、年此参り慣ひて侍るに合せて、軈て此の御寺へも参らんと思ひ立ちてなん。今此の御寺には、偏に後世助り侍らん善知識に逢はせ〔させ〕給へと、申し参れるに、斯く潔く後世思す人に逢ひ奉りぬるは、然かるべきにこそ、世を背く人も、自から物言触れ給ふ人なきは、頼なかるべき事なり。此の尼も偏に子とも思ひ奉らん。又必ず善知識となり給へ」と言へば、修行者、「いと嬉しき事なり、今日よりは然こそ頼み申し侍らめ」とて、又経など読みて、さし果てし程に、後夜打過ぎて、我も人も眠られしかば、「修行し歩き給ひけん物語し給へ、目をも覚し侍らん。大峰葛城などには、尊き事にも、又恐しき事にも逢ひ侍るなるは、如何なる事か侍りし」と問へば、「年比は別に然る事もなかりしに、一昨年の秋、葛城にてこそ浅しき事に逢ひ侍りたりしか。常よりも心澄みて、哀に覚えて経を誦し奉りしに、谷の方より人の気色のして詣で来しかば、いと物恐しく覚えながら、経を誦し奉りしに、九月上の十日頃の事にて、月の入方になり侍りし程に、仄かに其の形を見れば、翁の姿したる者の、浅しげに痩せ神さびたるが、藤の皮を編て衣とし、竹の杖をつきたるが来れるなりけり。漸々傍へ来寄りて言ふやう、「御経のいと尊く聞え〔侍り〕つれば、詣で来たる」と言ふ。物恐しく覚え侍りしかども、鬼魅などの姿にもあらざりしかば、仙人といふ物にやと思ひて、期く申す程に、八の巻の末つ方なりしかば、又一部を誦して聞かせ侍りしかば、此の仙人悦びて、「修行し給ふ人多く在せども、眞しく仏道を心にかけ給ふやらんと、見奉るが、尊く覚え侍るなり。いかなる事にて心を起し初め給へりしぞ』と、問ひしかば、先に申しつるやうに申ししを、仙人聞きて、『いとかしこきことなり。おほかたは、今の世をはかなく見、疎み給ひて、古はかくしもあらざりけんと浅く思すまじ。すべて三界は厭ふべき事なりとぞ思すべき。この目の前の世の有様は、折に従ひて、ともかくもなりまかるなり。古を褒め、今を謗るべきにあらず。神代より、この葛城、吉野山などを住処として、時々はかたちを隠して都の有様も、諸国に至るまで、見聞きて過ぎ侍りき。由なき事どもに侍れども、お経を承りぬる喜びに、ひとへに目の前の事ばかりをのみ謗る心おはして、古はかくしもなかりけんなど思す、一筋なる心のおはする方をも申し聞かせば、一分の執心をも失ひ奉りなば、仏道に進み給ふ方とも、などかならざらん。神の世より見侍りし事、おろおろ申し侍らん』と言へば、『いみじくうれしく侍るべきことなり。生年二十などまでは、男のまねかたにて、世に立ち交らひ侍りしかども、はかばかしく昔の事考へみる事もなかりき。たゞ遊び戯れにて、夜を明かし日を暮らしてのみ過ぎ侍りしに、近ごろの事などを、人の語り伝へ申すを聞くに、この世の中はいかにかくはなりまかるやらんと、事に触れてあはれにのみ覚えて、かゝる道に入りにたれば、一方になべての世を謗る心もあり罪も定めて侍らん。いで、宣はせよ。承らん』と言ふに、仙人のいふ、『さてはこの世の有様のみならず、内典の方なども疎くこそはおはすらめ。端々を申さん。生死は車の輪の如くにして、始まりては終り、終りては始まり、何時を初め、何時を終りといふ事あるべからず。まづ劫の有様を申して、世の成行く様もかくぞかしと知らせ奉らん。人の命の八万歳ありしが、百年と言ふに、一年の命の縮まり縮まりして、十歳になるを一の小劫とは申すなり。さて〔又、〕十歳より、又百年に一年の命を添へて、八万歳になりぬ。これをも一の小劫と申す。この二の小劫を合はせて一の中劫とは申すなり。さて世の始まる時をば成劫と申して、この中劫と申しつるほどを二十過すなり。その初めの一劫のほどはつやつやと世の中なくて、空の如くにてありしに、自然に山河など出で来て、かく世間の出で来るなり。いま十九劫には、極光浄といふてんより、一人の天人生れて大梵王となる。その後、次第にやうやう下ざまに生れて、次に人生れ、餓鬼、畜生出で来て、果てに、地獄は出で来るなり。かくて成劫二十劫は究まりぬ。世間も有情もなり定まるによりて成劫とは申すなり。次に住劫と申して、又二十の中劫のほどを過すなり。たゞし初めの一劫は、命、次第に劣りのみして、まさる事なし。されば住劫の初めの人の命は八万歳にはあらで、無量歳にて、それより十歳までなるなり。されども程の経る事は、ひとつの中劫のほどなり。さて第二の劫より十九の劫まで、先に申しつるやうに、八万歳より十歳になり、十歳より八万歳になり、劫ごとにかく侍るなり。さて第二十の劫は、十歳より八万歳まで、まさる事のみありて、劣る事なし。これも過ぐるほどは一の中劫の間なり。これは天より地獄まで、成劫に出で来調ほりて、有情のある程なり。さて住劫とは申すなり。次に壊劫と申して、このほど又二十の中劫のほどなり。初めの十九劫には、地獄より初めて、有情みな失せぬ。この失すと申すは、いづこともなく失せぬるにはあらず。しかるべくして天上へ生るゝなり。たゞし地獄の業なほ尽きぬ衆生をば、こと三千界の地獄へしばし移しやるなり。かくて第二十の劫に、水出で来て、しも風輪とて、風吹きはりたる所の上より梵天まで、山河も何もかもなく焼け失せぬ。かく破れぬれば、壊劫とは申すなり。次に空劫と申して、又二十の中劫のほどを、世の中に何もなくて、大空の如くにて過ぐるなり。空しければ、空劫とは申すなり。この成住壊空の四劫を経るほどは、八十の中劫を過しつるぞかし。これをひとつの大劫とは申すなり。かくて終りては〔又〕始まり、始まりては終りして、いつを限りといふ事なし。かくの如くして、水火風災などあるべし。こと長ければ申さず。この住劫と申しつるに、仏は世に出で給ふなり。その中に、人の命まさりざまになる折は、楽しみ驕れる心のみありて、教へに叶ふまじければ出で給はず。命やうやう落ちつ方に、ものゝあはれをも知り、教へ事にも叶ひぬべきほどを見はからひ〔給ひ〕て出で給ふなり。この住劫にとりては、初め八劫には、仏出で給はず。第九の減劫に七仏の出で給ひしなり。釈迦の出で給ひしは、人の命百歳の時なれば、第九劫のむげに末になり〔に〕たるにこそ。第十の減劫の初めに、弥勒は出で給はんずるなれ。第十五の減劫に、九百九十四仏出で給ふべし。かくの如く、世に従ひて、人の命も果報もなりまかるなり。おほかたはさる事にて、この日本国にとりても、又なかなか世あがりては事定まらず、かへりてこの頃に相似たる事も侍りき。仏法渡り、因果弁へなどしてより、やうやうしづまりまかりし名残の、又末になりて、仏法も失せ、世の有様もわろくなりまかるにこそあるべきことわりなれば、良し悪しを定むべからず。ひとへにあらぬ世になるにやなど、欺き思ふべからず。万寿の頃ほひ、世継と申しし賢しき翁侍りき。文徳天皇より後つ方の事は暗からず申し置きたるよし承る。その前はいと聞き耳遠ければとて申さざりけれども、世の中を究め知らぬは、片おもむきに、今の世を謗る心の出で来るも、かつは罪にも侍らん。目の前の事を昔に似ずとは、世を知らぬ人の申すことなるべし。かの嘉祥三年より前の事を、おろおろ申すべし。まづ神の世七代、その後、伊勢太神宮の御代より、うのかやふきあはせずのみことまで五代。合せて十二代のことは、言葉に表し申さむにつけて憚り多く侍るべし。神武天皇より申し侍るべきなり。その御門、位に即き給ひし辛酉の年より嘉祥三年庚午の年まで、千五百二十二年にやなりぬらん。そのほど、御門五十四代ぞおはしましけん。まづ神武天皇より』とて、言ひ続けはべりし。