次の御門、元正天皇と申しき。文武天皇の御姉。これも元明天皇の御腹におはします。元明天皇位を去り給ひし時、聖武天皇を東宮と申ししかば、位を継ぎ給ふべかりしかども、その年ぞ御元服し給ひて、御年十四になり給ひしに、猶いまだいとけなくおはすとて、この御門は御伯母にて譲りを得給ひしなり。和銅八年乙卯九月三日、位に即き給ふ。御年三十五。世を知り給ふ事、九年なり。年号かはりて霊亀と申しき。三年と申しし九月に御門、美濃国不破の山の出湯に行幸ありき。その湯を浴みし人、白髪かへりて黒くなりき。目暗かりし者たちまちに明らかになり、痛き所を洗ひしかば、すなはち癒えにき。かくて御門帰り給ひて、十一月七日、年号を養老とかへられにき。二年と申ししに不比等、律令を選びて御門に奉り給ひき。同三年と申しし二月に百官を召して笏を持つ事は始まり侍りしなり。同四年八月三日、不比等亡せ給ひにき。九月〔に〕大隅、日向の国に朝廷に従ひ奉らぬ者どもありしかば、宇佐の宮の禰宜、宣旨を承りて、軍をおこしてこれらを討ち平げてき。その時に宇佐の宮の託宣し給ひて、「戦ひの間、多くの人を殺せり。これによりて放生会をすべし」と宣はせしかば、これより諸国の放生会を始められしなり。同五年八月三日、御門、太上天皇もろともに不比等の御果に山階寺の内に北円堂を建て給ひき。〔同〕八年二月四日、御門位を東宮に譲り奉り給ひて、太上天皇と申しき。