水鏡 - 第38代 孝徳天皇

 次の御門、孝徳天皇と申しき。皇極天皇の御弟。御母、欽明天皇の御孫吉備姫なり。乙巳の年六月十四日〔に〕位に即き給ふ。世を知り給ふ事、十年なり。皇極天皇は位をわが御子〔の〕天智天皇のいまだ皇子と聞えしに譲り奉らんと宣ひしを、皇子「あるべき事に侍らず」と申し給ひて、鎌足に「御門かゝる事をなん宣はせつる」と言ひ合はせ給ひしに、鎌足「この御門の御子、御叔父の皇子を越え奉りて、いかでかその先に位を継ぎ給ふべき。世の人のうけ申さん事もありがたく侍るべし」と申し給ひしかば、皇子、わが御心にかなひて思しければ、あながちに申し返し給ひしかば、この御門に譲り奉り給ひしを、これも、又度々返し奉り給ひき。又、天智天皇の兄の御子に譲り奉られしに、皇子「あるべき事に侍らず」とて出家して吉野山へ入り給ひにき。二人の御子、あながちにかく返し奉り給ひしかば、つひにこの御門は位に即き給ひしなり。かくて鎌足、大臣の位になずらへて内臣となん始めて申し侍りし。大化二年に道登といひし者の宇治橋を渡し始めたりしなり。この御時に元興寺に智光・頼光といふ二人の僧ありき。稚くより同所にて学問をす。頼光身にする勤めもなく、又、人に会ひてものなどいふ事もなし。たゞいたづらにして月日を過す。智光あやしみをなして「いかにいたづらにておはするぞ」と問へども、ふつといらふる事もなく。かくて多くの年を経て頼光亡せにき。智光歎きて、「年ごろの友なりき。いかなるところにか生まれぬらん。行ひする事もなく、ものをだに〔も〕はかばかしく言はざりつれば、後の世の有様いとおぼつかなし」と思ひて、二三月の程「頼光が在り所知らせ給へ」と仏に祈り申しし程に、智光、夢に頼光が居たる所へ行きて見れば、たとへんかたなくめでたし。智光「これはいかなる所ぞ」と問へば、頼光「これは極楽なり。汝あながちに祈りつれば、わが生まれたる所を見するなり。汝があるべき所にあらず。とく帰りね」と言ふに、智光「われ浄土を願ふ身なり。いかでか帰らん」と言ふ。頼光「汝、させる行ひをせず。しばしもいかでかこの所に止まらん」と言ふ。智光「汝、世にありし時、させる行ひもし給はざりき。いかにしてこの所に〔は〕生れ給へるぞ」と言ふ。頼光「いかでか知り給はん。むかし経論を見給ひしに、極楽に生れん事いと難く覚えしかば、ひとへに世の事を捨て、もの言ふ事を止めて、心の中に弥陀の相好、浄土の荘厳を観じて、多くの年を積もりてわづかに生れて侍るなり。汝、心乱れ善根少なくて、浄土へ参るべき程にいまだ至らず」といふを、智光聞きて泣き悲しびて、「いかにしてか決定して往生すべき」と問ひしかば、頼光「仏に問ひ奉れ」とて、智光を相具して仏の御前に参りぬ。智光、仏を礼拝し奉りて、「いかなる事をしてか、この所に参るべき」と申しき。仏、智光に告げて宣はく、「仏の相好、浄土の荘厳を観ずべし」と。智光「この土の荘厳は、心も眼も及ばず。凡夫はいかでかこれを観ずべき」と申ししかば、仏、右の御手を捧げ給ひて掌の内に小さき浄土を表し給ひき。智光、夢さめて、この浄土の有様を写し書かせて、朝夕にこれを観じてつひに極楽に参りにき。かゝれば仏道はたゞ心によるべき事なり。