次の御門、崇峻天皇と申しき。欽名天皇の第十二の御子。御母、稲目の大臣の女、小姉君姫なり。丁未の年八月二日、位に即き給ふ。御年六十七。世を知り給ふ事、五年。位に即き給ひて明くる年の冬、御門、聖徳太子を呼び奉りて、「汝よく人を相す。われを相し給へ」と宣ひしかば、太子「めでたくおはします。たゞし横ざまに御命の危みなん見えさせおはします。心知らざらん人を宮の内へ入れさせ給ふまじきなり」と申し給ひしかば、御門「いかなる所を見て宣ふぞ」と仰せられしに、太子「赤きすぢ御眼を貫けり。これは傷害の相なり」と申し給ひしかば、御門御鏡にて見給ひしに、申し給ふごとくにおはしましゝかば、大きに驚き恐りおはしましき。 かくて太子、人々に「御門の御相は、前の世の御事なれば、変るべき御事にあらず」とぞ宣ひし。三年と申しし十一月に、太子御年十九にて、元服し給ひき。五年と申しし二月に、御門しのびやかに太子に宣はく、「蘇我の大臣、内には私をほしきまゝにし、外には偽りを飾り、仏法を崇むるやうなれども、心正しからず。いかゞすべき」と宣ひしかば、太子「たゞこの事を忍び給ふべし」と申し給ひし程に、十月に人の猪を奉りたりしを、御門御覧じて、「いつか猪の首を斬るがごとくに、わが嫌ふところの人を断ち失ふべき」と宣はせしかば、太子大きに驚き給ひて、「世の中の大事、この御言葉によりてぞ出で来べき」とて、にはかに内宴を行なひて、人々に禄賜はせなどして、「今日、御門の宣はせつる事、ゆめゆめ散らすな」と語らひ給ひしを、誰か言ひけん、蘇我の大臣に、「御門かゝる事をなん宣ひつる」と語りければ、わが身を宣ふにこそと思ひて、御門を失ひ奉らんと謀りて、東漢駒といふ人を語らひて、十一月〔の〕三日、御門を失ひ奉り〔て〕き。宮の内の人驚き騒ぎしを、蘇我の大臣、その人を捕へさせしめしかば、人々この大臣のしわざにこそと知りて、とかくものいふ人なかりき。大臣、駒を賞して様々のものを賜はせて、わが家の内に、女房などの中にもはゞかりなく出で入り、心にまかせてせさし程に、大臣の女を忍びて犯してき。大臣この事を聞きて、大きに怒りて、髪をとりて木に掛けて、自らこれを射き。「汝おろかなる心をもちて、御門を失ひ奉る」と言ひて矢を放ちしかば、駒叫びて「われその時に、大臣のみを知れりき、御門といふ事を知り奉らず」と言ひしかば、大臣この時〔に〕いよいよ怒りて、剣をとりて腹を割き、頭を斬りてき。大臣の心悪しき事いよいよ世間に広まりしなり。