水鏡 - 第32代 敏達天皇

 次の御門、敏達天皇と申しき。欽明天皇の第二の御子、御母宣化天皇の御女、石姫皇后なり。欽明天皇の御世、十五年甲戌正月に東宮に立ち給ふ。世を知り給ふ事、十四年なり。今年正月一日ぞ聖徳太子は生れ給ひし。父の用明天皇は御門の御弟にて、いまだ皇子と申ししなり。御母、宮の内を遊びありかせ給ひしに、厩の前にて、御心にいさゝかも覚えさせ給ふ事もなくて、にはかに生れさせ給ひしなり。この月までは十二ヶ月にぞ当たらせ給ひし。人々いそぎ抱きとり奉りてき。かくて、赤く黄なる光西の方よりさして、御殿の内を照らしき。御門この由を聞こしめして、行幸なりて、事の有様を問ひ申し給ふに、又ありつるやうに宮の内光さして輝きけり。御門あさましと思して、「凡人にはおはすまじき人なり」とぞ、人々には宣はせし。四月になりにしかば、ものなどいとよく宣ひき。今年の五月とぞ覚え侍る。高麗より烏の羽にものを書きて奉りたりしを、いかにして読むべしとも覚えぬ事にて侍りしを、なにがしの王とかや申しし人の、こしきの内に置きて、写しとりて読みたりしこそいみじき事にて侍りしか。御門、愛でほめ給ひて、その王は御前近く常に候ふべき由など仰せられき。二年と申しし二月十五日、聖徳太子東に向ひて掌を合せて「南無仏」と宣ひき。今年御年二にこそはなり給ひしか。三年三月三日、父の皇子、聖徳太子を愛し奉りて抱き給へりしに、いみじく香ばしくおはしき。その後、多くの月日を過るまで、その移り香失せ給はざりしかば、宮の内の女房たち、われもわれもと争ひ抱き奉り侍りき。六年十月と申ししに、百済国より経論、又あまた渡り給へりしを、太子、「これを見侍らん」と御門に申し給ひしかば、御門その故を問ひ給ふに、太子申し給はく、「むかし唐土の衡山に侍りしに、仏教は見侍りき。今その経論を奉りて侍るなれば、見給へらんと思ひ給ふるなり」と申し給ひしかば、御門あさましと思し召して、「汝は六歳になり給ふ。いつの程に唐土に在りしとは宣ふぞ」と仰せ言ありしかば、太子「前の世の事の覚え侍るを申すなり」と申し給ひし時に、御門をはじめ奉りて、聞く人、手をうち、あざみ申しき。法華経は今年渡り給へりけりとぞ承りし。七年と申しし二月に、太子よろづの経論を開き見給ひて、「六斎日は梵天帝釈降り下り給ひて、国の政を見給ふ日なり。ものゝ命を殺す事を留め給へ」と申し給ひしかば、やがて宣旨を下し給ひき。今年太子七歳にぞなり給ひし。八年と申しし十月に、新羅より釈迦仏を渡し奉りしかば、御門喜び給ひて供養し奉り〔給ひ〕き。山階寺の東金堂におはしますはこの仏なり。十二年と申しし七月に百済国より日羅といふ僧来たれりき。太子会ひ給ひて物語をし給ひし程に、日羅、身より光を放ちて、太子を拝み奉るとて「敬礼救世観世音伝灯東方粟散王」と申しき。太子、又、眉間より光を放ち給ひき。かくて人々に宣ひき。「我、むかし唐土にありしとき、日羅は弟子にてありしものなり。常の日を拝み奉りしによりて、かく身より光を出すなり。後の世に必ず天に生るべし」と宣ひき。十三年と申しし九月に、百済国より石にて造りたる弥勒を渡し奉りたりしを、蘇我馬子の大臣、堂を造りて据ゑ奉りき。いま元興寺におはします仏なり。十四年と申しし三月に、守屋の大臣、御門に申さく、「先帝の御時より今に到るまで、世の中の病いまだ怠らず。蘇我の大臣、仏法を行ふ故なるべし」と申ししかば、仏法を失ふべき由、宣旨下りにき。守屋みづから寺に行き向ひて、堂を切り倒し、仏像を破り失ひ、火をつけて焼き、尼の着る物を剥ぎ、笞をもちて打ちし程に、空に雲なくして大いに雨降り風吹きゝ。天下に瘡おこりて命を失ふもの数を知らず。その瘡を病む人、身を焼きゝるがごとくになん覚えける。仏像を焼きし罪によりてこの病起れりしなり。六月に、蘇我の大臣「病久しく癒えず、なほ三宝を仰ぎ奉らん」と申しき。御門「しからば、汝ひとり行ふべし」と宣はせしかば、喜びて、又堂塔を造りき。仏法はこれよりやうやう弘まり始まりしなり。かくて八月十五日に御門は亡せさせ給ひにき。この御時とぞ覚え侍る。尾張の国に田を作るものありき。夏になりて田に水まかせんとせし程に、俄に神鳴り雨降りしかば、木の下に立ち入りてありし程に、その前に雷落ちにき。その形、幼き子のごとし。この男、鋤をもちて打たんとせしかば、雷「我を殺す事なかれ。必ずこの恩を報いん」と言ひき。男のいはく、「何事にて恩を報ゆべきぞ」と言ひき。雷答へていはく、「汝に子をまうけさせて、かれにて恩を報いん。我に、楠の木の船を造りて、水を入れて竹の葉を浮かべて、速やかに与へよ」と言ひしかば、この男、雷の言ふがごとくにして与へつ。雷これを得て、すなはち空へのぼりにき。〔その〕後、男子をまうけてき。生れ〔に〕し時に、蛇その頭を纏ひて、尾・頭・項の方にさがれりき。年十余になりて、方八尺の石を易く投げき。この童、元興寺の僧に仕へし程に、その寺の鐘撞堂に鬼ありて、夜毎に鐘撞く人を喰ひ殺すを、この童、「鬼の人を殺す事を止めてん」と言ひしかば、寺の僧ども喜びて、速やかに止むべき由をすゝめき。その夜になりて、童、鐘撞堂に上りて鐘を打つ程に、例のごとく鬼来たれり。童、鬼の髪にとりつきぬ。鬼は外へ引き出さんとし、童は内へ引き入れんとする程に、夜はたゞ明けに明けなんとす。鬼し侘びて、髪際を放ち落して逃げ去りぬ。夜明けて、血を尋ねて求め〔侍り〕しかば、その寺の傍らなる塚のもとにてなん血止まり侍りにし。むかし心悪しかりし人を埋めりし所なり。その人、鬼になり〔に〕たりけるとぞ人々申しあひたりし。その後、鬼、人を殺す事侍らざりき。鬼の髪は宝蔵にをさまりていまだ侍りけり。この童、男になりて、なほこの寺に侍りき。寺の田を作りて水をまかせんとせしに、人々妨げて水を入れさせざりしかば、十余人ばかりして担ひつべき程の鋤柄を作りて、水口に立てたりしを、人々抜きて捨てたりしかば、この、男、又、五百人して引く石をとりて、他人の田の水口に置きて、水を寺田に入れしかば、人々怖ぢ恐れてその水口を塞がずなりにき。かくて寺田焼くる事なかりしかば、寺の僧、此の男法師になる事を許してき。世の人、道場法師とぞ申しし。