水鏡 - 第31代 欽明天皇

 次の御門、欽明天皇と申しき。安閑天皇の御弟。御母、皇后手白香皇女なり。葵亥の年、位に即き給ふ。御年四十。世を知り給ふこと、三十二年。十三年と申ししに、百済国より仏経渡り給へりき。御門、喜び給ひて、世の中の、心地起りて、人多く患ひき。尾輿の大連といひし人、「仏法を崇むる故に、この病起るなるべし」とて申し、寺を焼き失ひしかば、空に雲なくして雨降り、内裏焼け、かの大連亡せにき。この後、さまざまの仏経なほ渡り給ひき。継体天皇の御世に唐土より人渡りて、仏を持し奉りて、崇め行ひしかども、その時の人、唐土の神と名づけて、仏とも知り奉らず。又世の中にも弘まり給はずなりにき。この御世よりぞ、世の人、仏法といふことは知り初め侍りし。三十三年と申ししに、聖徳太子は生まれ給ひき。御父の用明天皇は、この御門の第四の御子と申ししなり。太子の御母の御夢に黄金の色したる僧の「われ、世を救ふ願あり。しばらく君が腹に宿らん」と宣ひしかば、御母「かく宣ふは誰にかおはする」と申し給ひき。その僧「われは救世菩薩なり。家はこれより西の方にあり」と宣ひき。御母申し給はく「わが身は穢らはし。いかでか宿り給はん」と宣ふに、この僧「〔われ〕穢らはしきを厭はず」と宣ひしに、「しからば」と許し奉り給ひしに従ひて、母の御口に躍り入り給ふと覚えて、驚き給ひたりしに、御喉にものある心地し給ひて孕み給へりしなり。八月と申ししに、腹のうちにてもの宣ふ、聞え侍りき。この頃ほひに、宇佐の宮は顕れ始めおはしましき。よしなき事に侍れども、この御時とぞ覚え侍る、野干を「きつね」と申し侍りしは。事の起りは、美濃の国に侍りし人、顔よき妻を求むとてものへまかりしに、野中に女に会ひ侍りにき。この男、語らひ寄りて、「わが妻になりなんや」と言ひき。この女、「いかにも、宣はんに従ふべし」と言ひしかば、相具して家に帰りて住むほどに、男子一人産みてき。かくて年月を過すに、家にある犬、十二月十五日に子を産みてき。その犬の子、少し大人びて、この妻の女を見る度ごとに吠えしかれば、かの妻の女、いみじくおぢて、男に、「これ、打ち殺してよ」と言ひしかども、夫の男聞かざりき。この妻の女、米白ぐる女どもにもの食はせんとて、唐臼の屋に入りにき。其の時この犬走り来て、妻の女を食はんとす。この妻の女驚き恐れて、え堪へずして、野干になりて籬の上に登りてけり。男これを見て、あさましと思ひながらいはく、「汝と我とが中に子既にいできにたり。我、汝を忘るべからず。つねに来て寝よ」と言ひしかば、その後、来たりて寝侍りき。さて「きつね」とは申し初めしなり。その妻は桃の花初めの裳をなん着て侍りし。その産みたりし子をば「きつ」とぞ申しし。力強くして、走る事飛ぶ鳥のごとく侍りき。