次の御門、雄略天皇と申しき。允恭天皇第五の御子。御母、皇后忍坂大中姫なり。丙申の年十一月十三日、位に即き給ふ。御年七十。世を知り給ふこと、二十三年なり。この御門、生まれ給ひし時、宮の内なん光りたりし。おとなになり給ひて後、御心猛くして多くの人を殺し給ひき。世の人、大悪天皇と申しき。二年と申しし七月に、御門、愛せさせ給ひし女、他男にあひにけり。御門怒り給ひて、男女二人ながら召し寄せて、四つの肢を木の上に張りつけて、火をつけて焼き殺し給ひてき。四年二月と申ししに、御門、この葛城山にて狩をし給ひしに、御門の御容姿にいさゝかも違はぬ人出で来たれりき。御門「これは誰の人ぞ」と宣はせしに、その人「まづ王の名を名乗り給へ。その後申さむ」と申ししかば、御門名乗り給ひき。その後「我は一言主の神に侍り」と申して、あひともに狩をして、日暮れて帰り給ひしに、この一言主の神、送り奉りしかば、世の中の人「たゞ人にはおはせぬか」とぞ申しあひたりし。二十二年と申しし七月に、浦島の子、蓬莱へまかりにけりといふ事侍りしなり。みな人の知り給ひたる事なれば、こまかに〔は〕申すべからず。