水鏡 - 第12代 景行天皇

 次の御門、景行天皇と申しき。垂仁天皇の第三の御子。御母、皇后日葉酢媛命なり。垂仁天皇の御世、三十年辛酉正月甲子の日、東宮に立ち給ふ。御年二十一。父御門、二人の御子に申し給ふやう、「おのおの心に何をか得んと思ふ」と宣ふに、兄の御子「我は弓矢なん欲しく侍る」と申し給ふ。弟の御子〔は〕「我は皇位をなん得んと思ふ」と申し給ふ。このことにしたがひて、兄の御子には弓矢を奉り、弟の御子をば東宮に立て奉り給へりしなり。辛未の年、七月十一日、位に即き給ふ。御年八十四。 世を保ち給ふ事六十年なり。五十一年と申ししに内宴おこなひ給ひしに、成務天皇のいまだ皇子と申ししに、武内宿禰と、その座に参り給はざりしかば、御門、其の故を尋ねさせ給ひしに、申し給はく、「人々みな御遊びの間、心を緩ぶべき折なり。その時、もし隙を窺ふ心あるものも侍らんにと思ひて、門を固めてなん侍る」と申し給ひしかば、御門いよいよ並びなく寵し給ひき。武内は孝元天皇の御孫なり。この後代々の御門の御後見として、世に久しくおはしき。今に八幡の御傍に近く斎はれ給へるはこの人にいます。五十八年二月に近江の穂穴宮に遷りにき。熊野の新宮はこの御時にぞ始まり給へりし。